大川小学校 | 石井進の「もっとランダム」2017

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4時半ごろ、「ハチタイ」が終わった菅生を後にした。

今回の”旅”の目的である《石巻》に向かった。

途中、仙台空港付近を走り《名取川》を渡った。

3.11の震災発生時、テレビで最初に飛び込んできた映像がこの名取市だった。

時間も時間だったので、仙台市に入り、今夜の宿を探す。
カーナビって便利なものがあるので、簡単に周辺の宿を探せる。

あまり立派では無くて、かといって、うらびれていなくて・・・・マロンを車の中に置いておくので、
パーキングがちゃんとしているところ・・・で、広瀬川を後ろにした「こ綺麗な」ビジネスホテルがあった。
パーキングもグッドだ。1泊5500円だった。
近くでラーメンとエビ餃子を食べて、ビールを1本飲んだら急激に睡魔が襲ってきた。
何しろ、今朝は2時起床だったからね。

明けて、5時!
マロンと広瀬川の河川敷を散歩。
マロンは昨日、菅生で興奮してたため、疲れ切っていて、今朝もまだ足がおぼつかない。

6:00、仙台市を出発し、「仙台東部道路」で北上。途中から一般道に下りて、
右に海を見ながら走る。
ところどころ、崩れたコンクリートの建物や橋が見えた。

松島を過ぎて10時ごろだったかな~石巻に入った。

カーナビで簡単に大川小学校にたどり着いた。
着いた瞬間、目に入ってきたのは地震と津波にやられて《廃墟となった校舎」だった。

何とも言えない空気がここには流れている。
慰霊碑に手を合わせてから校舎の方に回ってみた。

地震と津波の想像を絶する恐ろしさを、まざまざと見せつけられた。

川崎ナンバーを付けた車の、オレと同年代のお二人は(たぶんご夫婦)
「目を涙でいっぱいにしていた」

震災では2万人近い人が無くなり、不明になった。
何万という悲しみのストーリーがこの震災にはあるだろう。

だけど、この小学校で亡くなった74人の子供たちのことが気になって仕方がなかった。
《なぜ、裏山に逃げなかったのだろう?》
震災後、多くの人が疑問を呈した。

校庭と避難をしたという、新北上川大橋の袂がこんなに近かったとは・・・
現場に行ってみて、オレなりに判ったことがあった。
でもそれは、単に、オレが感じたことなのでここに書くことは避けます。

怖かっただろう、恐ろしかっただろう・・ここで死んでいった子供たちのことを思うと・・・、
でも、手を合わせて子供たちの冥福を祈ったことで、「勝手ながら」少し、胸のつかえが・・・取れた気がした。

昼頃、東北自動車道に乗り、一路・・南へ。
1077kmを走り、夕方6時ごろには帰宅した。
マロンもオレも疲れたな~です。
(慰霊碑や小学校はカメラが突然、シャッターが下りなくなって写真が折れませんでした)
これは、スマホの写真です。DSC_1021.jpg
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